関西スポーツ用品工業協同組合

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組合のあゆみ

1974年(昭和49年)〜1994年(平成6年)

昭和49年12月、関西スポーツ用品工業会は「関西スポーツ用品工業協同組合」として新スタートを切った。全日本運動用品工業団体連合会が社団法人日本スポーツ用品工業協会へと改組したのに呼応したもので、活動のさらなる積極展開にも注力していった。
関西工組は、組合員相互の親睦、勉強、情報交換等を行いつつ、組織の成長とともに「世界スポーツ用品工業連盟」発足、「日米スポーツ用品工業合同会議」参加、「世界スポーツ用品工業連盟」会議参加など、業界の成長・国際化にも精力的に取り組んできた。また、製品安全対策や環境への責任等々の課題にも取り組みを広げてきた。
創立21年目にあたる平成7年は阪神・淡路大震災という大災害に見毎われたが、復興に向かう人たちをスポーツが勇気づけた。関西工組はじめ業界各団体・各社ともスポーツの可能性を広げようと取り組み、以降もさまざまなスポーツは人々に元気を吹き込んでいった。サッカーワールドカップ.フランス大会初出場、 20世紀最後のシドニーオリンピックでの女子マラソンの活躍、サッカーワールドカップ日韓大会開催…。
ピッグイベントの折々に関西工組も組合員各社も参画し、スポーツ文化の醸成に貢献した。



1995年(平成7年)〜2005年(平成17年)

この10年、関西工組の取り組みは進化し、深化した。
平成18年、「異業種研修会」をスタートさせた。業界を取り巻く環境が激しく変化する中、自らの業界のみでなく、広く他業種を、世界の動向を知ることが重要である、との想いから生まれた新たな試みであった。翌平成19年に近畿経 済産業局通商部の支援をいただいた第1回「出前セミナー」を、平成20年には第1回商品セミナーを開催したのも、同一 線上の理念による。
世代交代に加え、 NP (ニュープロジェクト)委員会が誕生し多様な取り組みを実施するなど、新たな芽吹きを見せた時期となった。
前後して、日本が優勝を飾った第1回ワールド・ベースボール・クラシック、中国初開催の北京オリンピック、サッカーワールドカップ女子で優勝した「なでしこジャパン」、日本フィギユアスケート陣の活躍など、スポーツの魅力を再認識した。東日本大震災が発生し、悲しみに打ちひしがれた人を、地域を、元気づけようとスポーツ界も取り組みを継続した。
関西工組初代理事長である鬼塚喜八郎氏の逝去をはじめ、組合員先輩諸氏の計報もあった、この10年。しかし悲しみの一方で、組合役員も全組合員も新たな意気に燃えている。
関西工組の歩みは、これから佳境を迎える。


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